ピサです。
近年、日本の選挙における投票率の低下が問題視されています。
しかし、本当に投票率は高い方が良いのでしょうか?
今回は、意外に思われるかもしれませんが、投票率が低くても良いと言える理由について、様々な角度から考察していきたいと思います。
熟慮された投票の必要性

2024年兵庫県知事選について考えてみましょう。
グラフをご覧いただくと、2024年に投票率が急激に上がっているのが見て取れると思います。(ちなみに、2001年と2013年の選挙でも投票率が上がっていますが、これは参院選が同じ日に行われたからです。)
今(2025/2/23)の時点で、県知事に関する様々な問題が連日報道されていますが、果たして投票結果に満足している兵庫県民はどれくらいいるのでしょうか。
投票率が急激に上がるということは、政治に関心の低い層や、候補者・政策について十分に理解していない層も投票に参加するということです。
例えば、オンライン投票の導入や投票の義務化などによって投票率を増やした場合、結果として感情的な判断や、表面的・一時的な情報に左右された投票が増え、むしろ民意が適切に反映されない可能性の方が高くなります。
特に現代社会は情報過多であり、有権者は多くの情報にさらされます。しかも、その情報が必ずしも正確で偏りのないものとは限りません。
そのような中で、適切な判断をするためには、普段から政治や社会的課題に関心を持ち、判断力や情報リテラシーを養うことが不可欠です。
投票所に足を運ぶという一見面倒なプロセスは、確かに投票率を下げますが、それと同時に無関心層を選挙からブロックしているとも言えます。
個人の自由と権利の尊重

現代社会では、個々人の多様な価値観をもとにした自由な自己表現を尊重することが重要視されています。
例えば、LGBTQの方々についても、単に社会が彼/女らに対して無関心を貫くのではなく、むしろ彼/女らが活発に自己表現し、それを社会が受容していくことが求められています。
政治についても同様で、それに対する関心や価値観は多様です。政治に強い関心を持つ人もいれば、そうでない人もいます。
個人の自由を尊重するならば、政治に関心がない人に対して無理に投票をさせるわけにはいきません。
投票に行かないという行動も、政治への無関心を表現する行為として尊重されるべきです。
例えば、昨今若者の投票率の低下が叫ばれていますが、これはむしろ現状の社会や政治への満足や信頼を表しているとも言えます。
2024年の内閣府世論調査では、生活に対する満足度について、満足していると答えた人が全体では52.0%だったのに対し、若者世代(18~29歳)では63.4%と比較的高い数値を示しています。
つまり、若者の投票率の低下は、社会への絶望ではなく、むしろ現状に満足する心情の表れという見方をすることもできます。
また、反対に「どうせ、投票へ行っても何も変わらない。」という意見を持つ人もいます。そういった人達に、投票を促す事は、かえって政治への不信感を増大させる結果にもなりかねません。
実際、日本国憲法第15条には次のように定められています。
第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
憲法が保障している選挙権は、あくまで権利であり、義務ではありません。
投票率を無理やり引き上げようとすることは、多様性の尊重や憲法の理念に反する可能性があります。
政治的安定性
民主主義においては、政権が交代する可能性が保障されていることが重要です。
しかし一方で、現実的な行政運営を考えた場合には、頻繁かつ急激な政権交代は大きな混乱をもたらします。
特に、投票率が急激に変動する場合、選挙ごとに政策が大きく変わる可能性があります。
このような状況では、政策の継続性が損なわれ、社会が不安定になる可能性があります。
特に長期的な視点が必要な社会保障やインフラ整備などの分野においては重要になります。
投票に行かない理由
49第回衆議院議員総選挙全国意識調査によれば、投票に行かなかった理由の第一位は、「選挙にあまり関心がなかったから」で、30.2%でした。
一方、「仕事があったから」(19.3%)、「体調がすぐれなかったから」(16.6%)などの理由で行かなかった人は少なく、多くの人が自発的に選挙に行かないことを選択していることが分かります。
実際、現在の選挙制度は期日前投票、不在者投票など、”行く気があれば手間をかければ行ける”程度には整備されています。(内閣府の調査によると、18~20歳の投票した後の感想は、「簡単だった」が最も多いです)
つまり、選挙に行かない人は、「無投票」という自身の意思を持っていると言えます。
そして、「無投票」という行為もまた、民意の一つとして考えるべきです。なぜならそれは、どのような選挙結果になったとしてもそれを支持するという意思表明に他ならないからです。
そのため、たとえ投票率が低かったとしても、選挙というすべての有権者が投票行為にアクセスできる機会を提供することによって民意を測ることができると考えられます。
まとめ
投票率の低下は、必ずしも民主主義の危機を意味するものではありません。
熟慮された投票の重要性、個人の自由と権利の尊重、政治的安定性、そして投票に行かない人々の意思を考慮すると、投票率が低いことには一定の合理性があります。
重要なのは、投票率の高低にかかわらず、有権者が主体的に政治に関心を持ち、質の高い政策が実現する社会を目指すことです。