メディアは人の死をエンタメ化している

ピサです。

連日、殺人事件が報道されていますが、なにか違和感を感じませんか?

事件の詳細な報道、容疑者の過去や周辺人物への取材。あたかもドラマを見ているかのような感覚を覚えるのは、私だけでしょうか。

なぜメディアは、これほどまでに事件を詳細に報道するのでしょうか?視聴率や部数といった、メディア側の事情が見え隠れします。

人の死のエンタメ化の現状

報道する事件の選び方

殺人事件の発生件数は令和4年では令和3年に続き戦後最少を更新し、853件となりました。(メディアの報道を見ると殺人事件は増えているようにも思われますが、実際は減少しています)

それでも平均で1日に約2件以上は殺人事件が起こっています。つまり、全国ニュースで報道されない殺人事件はたくさんあるということです。

その中で、報道される事件はどうやって選ばれているのでしょうか?

一つには、事件の規模や社会問題との関連といった正当な事情があるでしょう。

しかし、もう一つは事件の話題性、つまり、エンタメ性が基準となっています

日々報道される事件と言えば、バラバラ事件、路上殺人など猟奇的な殺人、特殊な殺人、もしくはものすごいバカげた動機による殺人など、どれも大衆の感情を刺激し、目を引くものばかりです。

なぜメディアは、このような殺人事件ばかりを報道するのでしょうか?

それは社会全体の利益のためではなく、単にメディアが大衆の好奇心を刺激し、収益を得るためであることは明らかです。

報道の仕方

殺人事件のエンタメ化は報道される事件の内容ばかりだけではなく、報道の仕方にも人の死をエンタメ化しようとするメディアの姿勢が読み取れます。

一つは、詳細すぎる事件の報道です。

例えば、2019年7月18日に起きた京都アニメーション事件では、メディアは遺族の意向を無視して被害者の実名報道を強行しました。

メディアは、被害者の実名報道をすることによって社会全体で事件を共有できると主張していますが、これは二つの点で明らかに誤っています。

一つは、「社会全体で事件を共有する」という社会全体の利益と被害者や遺族の感情を天秤にかけていることです。

メディアは、社会全体の利益のために被害者の感情を無視した実名報道を行っています。

これは裏を返せば、社会全体の利益のためなら被害者の感情などどうでもいい、ということに他なりません。

このようなメディアの考え方は一般には受け入れられるものではないでしょう。

もう一つは、被害者、遺族との信頼関係を失ってしまうことです。

確かに、メディアは被害者の実名を公表することによって、事件をセンセーショナルに報じ、短期的には大衆の歓心を集めることが可能です。

しかし、被害者の感情を無視した報道を行ったことで、被害者、遺族との信頼関係が崩れ、今後の彼/女らへの取材が困難になってしまいます。

これでは、事件の全貌を解明することが不可能になり、長期的な視点で見た時、事件を社会全体で共有するという目的が達成できなくなってしまいます。

また、普段の殺人事件のニュースでも、CGなどを使って殺人がどのように行われたのか、という解説を見ることがあります。

しかしこれは、本当に必要な報道なのでしょうか?

現実の事件とフィクションの推理小説を混同してしまっているようにも思えます。

実際、事件がどのように行われたのか、ということを詳細に報道しても全く意味がありません。

殺人方法を知ることによって身を守る術を身に着けられるのでは、と思う方もいるかもしれませんが、実際に同じ場面に出くわすことはほぼありませんし、実際に身を守りたいのなら護身術を習った方がいいでしょう。

むしろ、模倣犯を産むことにもなり、社会への悪影響の方が上回ります。

特に、遺族は被害者がどのように殺されたかを詳しく報道されたくないかもしれません。

想像してみてください。

あなた自身、もしくはあなたの家族、友人、知人が、無残に殴り殺されて道端に裸のまま晒されたとします。

そのことを詳細にメディアに報道され、全国に晒されたいと思いますか?

しかも、顔写真と実名付きです。

人の死のエンタメ化の問題点

事件の被害者への報道被害

メディアによる殺人事件のエンタメ化は、被害者や遺族に実害を及ぼしています。

被害者、遺族は氏名、年齢、住所、職業、家族構成などの個人情報が詳細に報道されることで、プライバシーが侵害されます。

しかもメディアは遺族に許可も取らず発表し、場合によっては遺族が拒否していても社会全体のため、という大義名分のもとに強引に報道してしまいます。

容疑者への報道被害

殺人事件のエンタメ化は、容疑者(被疑者)に対しても実害を及ぼしています。

一つは、メディアが報道した容疑者が無実で、不起訴だった場合です。

この場合、メディアは容疑者が不起訴になったことを報道することがないので、報道された方は重大な不利益を被ることになります。

さらに、メディアの容疑者報道は、容疑者があたかも犯罪者と決定しているかのような報道です。しかしこれは、無罪推定の原則という最も基本的で重要な裁判の原則に反しています。

また、裁判機関でもないメディアが容疑者の容姿を報道し、社会的に罰を与えるということ自体についても議論が必要です。

報道のコンテンツ化

人の死をエンタメ化することにより、殺人事件が注目すべき社会的事象としてではなく、単なる消費コンテンツとして認識されるようになります。

被害者のプライバシーに踏み込み、エンタメ化された報道は大衆の好奇心を刺激し、犯人探し、デマ、誹謗中傷につながります

社会認識を歪ませる

メディアによる殺人事件のエンタメ化は、私たちの社会認識を歪ませています。

一つの例は、少年犯罪が増加しているという誤解です。

このグラフの青線を見ていただければ明らかなように、少年犯罪は平成15年以降減少傾向にあります。

しかし、メディアでは少年による猟奇的な殺人事件があれば、それだけをセンセーショナルに報道し、あたかも少年犯罪が増加・凶悪化しているかのような印象操作をしています。

しかし、実際に立てられるべき問いは、「なぜ少年犯罪は増加・凶悪化しているのか」という事実に基づかない問いではなく、「なぜ少年犯罪は減少しているのか」という問いです。

実際、少年犯罪の減少の原因が明らかになれば、それに基づいて政策などを決定していくことで犯罪をより低下させていくことにつながります。

メディアの報道による社会認識の歪みは、議論の在り方を捻じ曲げ、結果的に社会全体の不利益となっています。

まとめ

メディアによる殺人事件の報道のエンタメ化は、以下のような問題を引き起こしています。

  • 被害者・遺族への配慮不足: プライバシー侵害や精神的苦痛を与える。
  • 容疑者の人権侵害: 無罪推定の原則を無視した報道や、容姿の公開。
  • 社会認識の歪み: センセーショナルな報道による誤った認識の拡散。
  • 報道のコンテンツ化: 事件が消費コンテンツとなり、社会問題への関心が薄れる。

メディアは、事件報道において被害者、遺族の心情に配慮し、プライバシーを尊重するとともに、センセーショナルな報道を控え、正確な情報を提供することが必要です

また、私たち視聴者も、メディアの情報を鵜呑みにせず、批判的な視点を持つことが重要です。

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